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ゼミ・グループ発表 格差社会と若者文化2007-2008

橋本ゼミ 経済学部経営学科3年 石榑はるか

 

 

1〕序章

1-1はじめに

 わたしが所属するC班では、2007年〜2008年を担当し、格差社会論と若者文化論について当時どのような論議の流れがあったのかを調べた。その手段として、まず前半では『世界』や『諸君』、『論座』等といった雑誌を対象に調べた。そして、後半は新聞記事と本を軸にして流れを追っていった。ここでは、前半と後半にわけてまとめていきたい。

 

1-2時代背景

 2007年、2008年の格差社会論と若者文化論を調べるにあたって、私たちはまず、この年にはどのような出来事があったのかを振り返った。

 

2007年〉

2007年の「今年の漢字」は「偽」…@相次ぐ食品偽装事件A政界に多くの偽りB老舗にも偽装が発覚。賞味期限改ざん、耐震偽装問題など、身近な食品から政界、スポーツ選手にまで次々と「偽」が発覚し、何を信じたらよいのかわからなくなった一年と言える。

・ネットカフェ難民

・モンスターペアレント

KY(空気が読めない)

以上のような言葉が流行った年でもある。働いているものの、事情によりネットカフェに寝泊りする人たちを指す、「ネットカフェ難民」という言葉は2007年の流行語トップテンにも選ばれた。

 

2008年〉

2008年の「今年の漢字」は「変」…@日米の政治に変化A世界的な金融情勢の変動B生活に不安を覚えた一年C世界的な気候変動D明るい未来に期待をこめて

・中国産餃子薬物混入事件

・秋葉原無差別殺傷事件

 2008年はアメリカのリーマンブラザーズの倒産を発端として、世界経済が大変動を起こし世界的金融恐が起き、株価暴落や円高ドル安などの変動が起きた。ガソリンの価格変動が激しく、物価も上昇し生活は苦しい方向に変わった。また金融不安の影響による派遣切りや内定取り消しなどの雇用状況の変化も起きた年である。中国製餃子に薬物混入、秋葉原の無差別殺傷事件など凶悪で変な事件が頻繁に起こったことも、世間を騒然とさせた。

 

 

2〕前半―各雑誌から見た格差社会論と若者文化論

2-1四つのトピック

 さまざまな雑誌の記事を読み進めていくと、2007年と2008年には大きく分けて以下の4つのトピックに分けられることがわかった。

@非正規社員

A若者

Bホームレス

C地域格差

 非正規社員は、2007年以前からも取り上げられており、非正規社員と正規社員との賃金格差や、そこから繋がる子どもの学校教育の格差などが問題として取り上げられていた。若者もこの年になって新しく出てきたものではなく、以前からもさまざまな論議がなされてきたトピックである。ホームレスはこの年になって注目されるようになった問題であり、この年の特徴として挙げられる。ホームレスについては後半で詳しく取り上げ論述する。地域格差は、2002年の景気回復以降、地域によってばらつきのある回復と、小泉政権の公共事業投資の削減により拡大した格差である。夕張市の倒産などはその典型的な例である。

 わたしは、以上の4つのトピックの中でもA若者について担当し、詳しく調べていくことにした。

 

2-2フリーターとは

 若者論について調べる中で必ずでてくるキーワードのひとつが、「フリーター」である。フリーターとは90年代に出てきた言葉であり、厚生労働省の定義では「若者(年齢15歳から34歳)の男性又は未婚の女性(学生を除く)で、パート・アルバイトして働く者又はこれを希望する者」とされる。「2005年版労働経済白書」(厚生労働省)によればその数は213万人と、90年代初頭の2倍以上にもなっている。フリーターは、やりたい職業が見つかるまでと選択を先延ばしにする「モラトリアム型」、正規雇用を志向しながらそれが得られない「やむを得ず型」、明確な目標を持った上で生活の糧を得るための「夢追求型」などに分類される。90年代初めは、好景気の下、希望すれば正社員になれる環境であえてフリーターになり、自分の夢を追いかけるといった「夢追求型」が多く、フリーターは「格好良く」見えるものであり良いイメージ持つ存在であった。しかし、2007年ごろには、フリーターから抜け出したくても抜け出せないという深刻な状況になっており、もはや人々がフリーターに対して良いイメージを持つことは難しい。

 

2-3ニートとは

 次に、フリーターともに若者論のなかでよく取り上げられる「ニート」について詳しくみていく。ニートとは「若者(15〜34歳)の非労働力人口のうち、通学、家事を行っていない者」を指す。フリーターと混合されやすいが、本来はフリーターが非正規雇用という形で就労するのに対し、ニートとは仕事をしていないという違いがある。ただし調査によっては重複される場合もあり、はっきりとした線引きはされていないのが現状である。フリーターと同様にニートも下図からわかるように増加傾向にある。

 

situation_img_03.jpg 

資料出所 総務省統計局「労働力調査」

 

2-3フリーター・ニート増加の背景にあるもの

 フリーター・ニート増加の背景として大きな要因として挙げられるのが、学校卒業時点での労働市場の激変である。「日本雇用システムの一つの特徴は新規学卒採用であり、それは正社員としての採用だった。新規学卒市場は一般市場に比べて格段に求人倍率が高く、学校卒業時点は人生でもっとも可能性のある就業機会だとされてきたのだ。ところがそれが大きく変わってしまった。たとえば高卒予定者の求人推移は92年時点で167万人あった求人が、直近では20〜25万人にまで減少している。」*1

 また、日本型の長期雇用システムが機能していることも要因として挙げられる。長期雇用システムが働いているため、不況の中で新正規社員を減らす会社が多くなり、いったん非正社員になると正社員への移行は難しくなっている。非正社員になるとその後の移行も非正社員として行われることが多いのである。

 「企業は日本型雇用慣行の適用範囲を縮小し、一転して新規採用を厳選した」*1のであり、つまりは、正社員への入り口が急速に狭まる一方で、非正社員への入り口は拡大したのである。

 

2-5フリーターやニートの現状

 フリーターやニートであることにはどのような問題があるのだろうか。フリーターの場合は、非正社員として働いている若者がほとんどで、彼らなしには成立しえない産業分野もある。問題は、彼らが低賃金であり、その仕事には将来の展開を持てないことが多いことにある。他の年齢層でも不況によるリストラなどによって、非正社員は増加している。若者においてそれが特に大きな問題だと思われるのは、「彼らが将来のある人たちで、現在の『蓄積』が将来を決定するからだ。そして若い世代の将来こそが日本全体の将来といえるからである。」*1

 確かに低賃金でもそれが一時的な課程であり、将来への蓄積になれば一つのキャリアのあり方だといえるが、問題は2-3で述べたように非正社員からの展望が見えにくいことだ。その低賃金が一時的ではなく、ずっと続いてしまう構造になっているのだ。

 仕事というのはたんに生計を立てるためだけの手段ではなく、それは同時に、「社会のなかで承認され、みずからの価値を証明し、アイデンティティを確立するための手段でもある。」*2 学校という場所を離れた若者たちが、次に所属する社会的なグループは職場であり、人はそこで自分の居場所をみつけ、できれば活躍したいと願う。フリーター問題をめぐる議論のなかで、経済的な格差や経済的な平等ということばかりに目がいき、このことが明確に認識されているとは言いがたいが、この問題は深刻である。

 やっと仕事に就くことができでも、それが誰にでもできる「とるに足らない」ものであれば、若者は自分が社会から切り離されたマージナルな存在に思えてきても不思議ではない。これまでは期間工が最底辺の労働者であったが、さらにその下に派遣労働者という階層ができ、そこでの劣悪な労働にやりがいを見つけることは、非常に難しいのである。「いつ首を切られるかもしれない不安感、誰でもいいような労働をこなす悲しさ、もうここから逃れられないような絶望感」*3 が若者にはある。さらには、非正社員ということで人格的な蔑視をうけたり、正社員への入り口が急速に狭まったことでスタートからアンフェアであったのに、「働く気がないからだ」と責められたり、苦しい状況におかれた若者の苦しみや苛立ちが充満してきている。

 

2-6苦しみの向けられる方向

 このように非正社員の若者たちは苦しい立場におかれながらも、どうすることもできない苛立ちの中で、その苛立ちの矛先が自他への攻撃として現れるようになった。2007年の職業別自殺者数を見てみると、主婦や学生でない無職者(主婦、学生、無職者を「無職者」とする)の自殺者は下図より49.3%と自殺者のほぼ半数を占める。

参照 警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/toukei/bunsyo/toukei19/pdf/kt19d138.pdf

 

2008年の統計を見ても、無職者は49.5%とほぼ半数を占める。

 他者への攻撃として、若者が置かれている不安な状況を象徴する事件が、2008年に起きた秋葉原の無差別殺傷事件である。この事件は7人が死亡、10人が負傷した東京・秋葉原で発生した通り魔事件である。犯人は2003年から2007年まで派遣社員として、各地を転々としながら働いていた。これは彼個人の家庭環境や特異な性格が生んだ犯罪なのか、犯人が派遣社員であったことから、社会的な背景から生まれた事件なのか、多くの議論がなされた。この事件をもって若者の雇用環境悪化を問題視する意見が各メディアから多数でたのは確かである。

 また、ネット上では犯人に対して「犯人は神」、「格差社会の英雄」「勝ち組に対して事件を起こすことで一矢を報いた」と英雄視する見方も発生した。これは、犯人と同じように劣悪な環境で働く人々が、事件を起こさないまでも、社会に対して苛立ちを感じている表れともいえる。

 

2-7状況を打破するために

 フリーターやニートについて論議がなされるとき、「若者に働く気がない」という自己責任論がよくされる。しかし、本当にそうなのだろうか。社会よりも若者自分自身に問題があうというのは若者の本当の現状を知らない無責任な主張ではないのか。実際に、「2006年春季労使交渉・労使協議に関するトップ・マネジメントのアンケート調査」によると、フリーターを正規社員として積極的に採用しようと考える企業はわずかに1.6%にすぎない。世間はさんざんに「フリーターやニートは働こうとしない」などというが、この結果をみれば、「企業の側がフリーターやニートを働かせようとしない」のが若者の苦境の原因であると考えられるのだ。

 社会はリストラにおびえる中高年に同情をよせる一方で、就職がかなわず、低賃金労働に押し込められたフリーターのことなど見向きもしていない。ここでは、わたしの読んだ雑誌のなかで若者の苦しい状況を打破するための解決策として挙げられたものをいくつか紹介したい。

 

@労働派遣法の改正

 労働派者派遣法を改正させる、少なくとも派遣の原則自由化を決めてしまった1997年以前の段階に戻すことが必要である。より具体的なことをいえば、企業内の非正規労働者の比率を制限すべきである。そして、最終的には、前近代的な派遣労働という制度はやめることだ。自分は働かないで人を働かせて稼ぐのは人間の悪であり、それが労働者派遣法によって合法化された。「非正規雇用が増大しつづけ、生産現場でもひどい工場では50%を超え、ましてサービス業なら店長までも非正規で見回りに来る監督だけが社員だという状況になってきて」*3いるのだ。

 しかし、派遣を正社員にしたところでも派遣の年収と変わらない賃金に据え置かれ昇給できないなどの事例も見られる。また、たとえ正社員になっても長労働時間が押し付けられて、派遣とはまた違う形で使い捨てられるような状況がある。法規制を強化しても企業がすり抜ける方法はいくらでもあるのだ。「派遣法を改正するのであれば、派遣だけでなく非正社員全体、そして正社員の置かれている実態をトータルで見て、非正規と世紀の問題をセットで提起」*3することが必要である。正社員を巻き込んで考えていかないと本当の意味で若い人たちの働く状況は改善しないのだ。

 

A労働組合のありかたの見直し

 過労死や過労自殺含めて、日本の労働条件は世界的に見ても類のないほどひどい状況になってきており、状況がここまで悪化した最大の原因は、労働組合がたたかわないことにある。企業別労働組合が機能していないために、個人参加のユニオンが増えてきている。少数派でも闘っていける、この教訓を伝えることが必要となっているのである。「派遣労働だけではなく、均等待遇や雇用差別禁止にしても、契約明瞭化や労働時間の規制にしても、全体の規制のバーを上げた上で、個別の職場における労使の交渉や合意形成が実質的に機能していく必要が」*3ある。それを実現するためには労働者の怒りとパワーが必要なのであり、それがあってこそ政府や企業も動くのである。

 

 最後に、2007年1月の論座に掲載され、当時さまざまな反響が起きた、31歳のフリーターである赤木智弘氏が、「希望は、戦争」だと主張した記事である。

 赤木氏は、バブル崩壊以降に社会に出ざるを得なかったポストバブル世代である。彼らの世代は社会人になった時点ですでにバブルが崩壊していて、最初から何も得ることができなかった人たちである。社会に出た時点ですでに労働市場は狭き門になっており、チャンスそのものがなかった。また、「不況直後、『ワークシェアリング』などという言葉はあったが、いままでにそれが達成される兆しがないのは、誰も仕事を若者に譲らないし、譲らせようともしないからだ。若者に仕事を譲ろうとすれば、誰かの生活レベルを下げなければならないのだが、それは非常に困難を伴う。持ち家で仲良く暮らしている家族に、『家を売ってください。離婚してください』とは言えないだろう。一方で最初からシングルでアパート暮らしの若者に、結婚して家を買えるだけの賃金を与えないことは非常に簡単だし、良心もさほど痛まない。だから社会は、それを許容する」*4のである。「結局、社会はリストラにおびえる中高年に同情を寄せる一方で、就職がかなわず、低賃金労働に押し込められたフリーターのことなど見向きもしなかった。最初から就職していないのだから、その状態のままであることは問題と考えられなかったのだ。」*4しかし、社会は散々若者自身に問題があると言う。このような閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か―。その可能性のひとつが、戦争である。戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。戦争は悲惨であり、その悲惨さは「持つものが何かを失う」から悲惨なのであって、彼らのように「何も持っていない」者からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。「持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む」のである。

 

 

3]後半―本や新聞記事から見た格差社会論と若者文化論

3-1「貧困」

 2-1で述べたように、2007、2008年のトピックのひとつである「ホームレス」はこの年になって出てきたキーワードである。ホームレスということは、家を持たず路上生活をしている人びとのことを言い、その根底には「貧困」というものがある。わたしたちは、湯浅誠氏の「貧困襲来」という著書を軸として、この新しいトピックについてより掘り下げて調べることにした。

 

3-2自己責任論をめぐって

 フリーターやニートが増加していくなかで、よく自己責任論がなされる。湯浅氏は自己責任論に対して、いまの状況は本人たちの努力・実力・運の不足という問題ではなく、社会の努力・実力不足であり、こう考えなければその状況は変わらないという、反自己責任論の立場に立つ。

 わたしは、湯浅氏の反自己責任論に対して自己責任論の立場の人々について調べ、金美鈴氏を取り上げることにした。

 

3-3湯浅誠氏の主張

 ここではまず、湯浅氏の反自己責任論の主張について簡単にまとめたい。

湯浅氏は、日本社会で顕在化した貧困において、ここの人間が貧困状況に追い込まれるプロセスには以下の5つの排除構造が存在すると主張する。

@教育課程からの排除

 家庭の事情や、学校でのいじめなどによって早くに教育課程から排除されてしまう。「スムーズに社会(会社)へと送り出していた教育課程というパイプラインのあちこちに穴ができて、そこからこぼれ落ちる人が増えている現状」*5がある。

A企業福祉からの排除

 教育課程から排除されると、条件のいい会社に正規採用されることが難しくなる。そこで、正規採用されなかった人びとは派遣や請負などの非正規雇用へと流れ、低賃金で保障のない仕事に就く。彼らは労働基準法上認められ、正規採用の人びとに与えられている雇用保険社会保険、企業による福利厚生、安定した雇用などから排除されており、容易に貧困状態に滑り落ちてしまう。

B家族福祉からの排除

 「家族の支え」がないと生活が不安定になり、仕事も不安定になりやすい。というのも、低負担・低福祉である日本社会では親族間の相互扶助が、社会的転落を防ぐセーフティーネットとしての重要な役割を果たしているからである。貧困状態に陥る人びとはもともと頼れる家族・親族がいない(たとえば家族・親族もワーキングプアであるなど)ことが多い。

C公的福祉からの排除

 日本型福祉においては、もとから公的福祉(社会保障や生活保護)が弱く、企業は、社員の面倒を見るのは会社の責任ではない、というスタンスを持つ。

D自分自身からの排除

@〜の社会的排除に直面した結果、自分自身の存在価値や将来への希望を見つけられなくなってしまう状態を言う。自分が成功しないのは、何かが足りないからだと思うが、その何かがわからない。自分に甘えたところはないか、怠けているところはないか、と一連の心理的悪循環 が生まれる。「成果が出てなければ努力はしていない」という成果主義的努力感を持ってしまう。

貧困へと追い込ませるこのような5つのプロセスが働く中で、湯浅氏は、わたしたちにできることは、自己責任論と離れることだという。「『本人の責任かどうか』問う前に、その状態を解消しなければならない」*5のである。本人たちの努力・実力・運の不足という問題ではなく、社会の側の努力・実力不足だと考える必要性があると、湯浅氏は主張する。

 

3-4金氏の主張

金氏は、自己責任論の立場をとるなかで、メディアが「甘え」を作り出していると批判する。有力メディアが「非正規社員やワーキングプアが溢れている日本は、若者にとって夢も希望もない国」と報じる。それによって、若者に「自分たちはかわいそうだ」という意識が芽生え、このような状況になったのは今の社会が悪いと自分自身の問題について考えなくなる。メディアはセンチメンタルで、表層だけをなぞりがちであり、それが大衆社会を堕落させた。実際に失職者の6割が生活保護の適応を申請し、すぐに自己責任論を放棄し、国にお情けを求める姿勢がうかがえる。

2008年に湯浅氏が「村長」となり、派遣切りの緊急対策として日比谷公園に開村された「年越し派遣村」を、メディアは実際にどのように取り上げていたのか新聞記事を調べてみると、以下のような見出しが出てきた。

・人の温かさ「生きてみよう」―元日に自殺未遂、派遣村で46歳涙(産経新聞09/1/4)

・ひとりじゃないよ「年越し派遣村」が開村 (朝日新聞09/1/1)

・派遣村・その後 踏み出せぬ次の一歩 (朝日新聞09/2/15)

その他の新聞記事もほとんどが、「こんなにかわいそうな人たちがたくさんいる」「大変だ」とマイナスイメージを持たせるものばかりであった。このようなメディアに煽られ、すぐに社会の問題にするのではなく、ここまでに至った原因はどこにあったのか、自分自身に問題はなかったのかを振り返る必要性があると主張する。

 

 

4]全体のまとめ

 2007、2008年になると、フリーターやニートの労働条件の悪さ、それによる人間としての存在価値の消失など、非正規雇用が増加していくこと自体に問題があるのではなく、非正規雇用であるがために生まれる問題に注目されるようになった。非正規雇用の人びとは、わたしたちが考えている以上に深刻な状態にある。それまでは全体的に自己責任論のほうが有力であったが、2007、2008年になると、反自己責任論のほうが有力である印象を受けた。非正規雇用になってしまったのは自分自身の問題だ、と言うことが出来ないほど、まわりの環境がひどくなっている。赤木氏が、「希望は戦争」と主張したのも、本当に戦争を起こしたいというよりは、希望は戦争だと言ってしまうほど深刻な状況にあることに気付いてほしい、どうにかしてほしいというメッセージが隠されているのだろう。最初は「かっこいい」というイメージをもっていたフリーターという存在は、いまや、そのようなイメージは一欠けらも持たない。非正規雇用の人びとは深刻でどうしようもない状況にあり、その状況を変えるためには、社会の仕組みを変える必要性があるのだ。

 

 

<参照>

・警視庁HP、http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/

・漢検財団法人日本漢字能力検定協会HP、http://www.kanken.or.jp/years_kanji/index.htm

・新語・流行語大賞HP、http://singo.jiyu.co.jp/

・厚生労働省HP、http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/wakachalle/situation/index.html

 

*1「フリーター、ニートの実像 抜けられない格差のひずみ リーター、ニートの大不安」、週間ダイヤモンド、2006.1.28

*2「『承認格差』を生きる若者たち なぜ年長世代と話がつうじないのか」、萱野稔人、論座、2007.7 

*3「秋葉原事件・何が問われているのか 若者の生きることと働くことをめぐって」、鎌田慧・池田一慶・小林美希本田由紀、論座、2008.8.40

*4「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」、赤木智弘、論座、2007,1

*5「貧困襲来」、湯浅誠、山吹書店、2007